メニュー

私の外科初期研修と医の源泉

[2024.11.24]

 当院院長の私は脳神経外科(以下脳外科)専門医として複数の病院での勤務医を経験して参りましたが無論いきなり脳外科医になれた訳では無く長い下積みの時代が有ります.今回はその下積みの中でも、ごく初期の外科初期研修時代の話をしたいと思います(福島県医師会報 第86巻第8号から改編)

 一般的に医師国家試験に通ったばかりの医師は無論実務経験は無く、取敢えず通常の診療が出来る医師になる為にはまずは「研修医」として概ね2年程様々な診療科を廻必要有ります.その間に実際の臨床現場での診療に携わるのに最低限必要となる、ごく基本的なスキルを学ぶ訳です.この様に将来自分が希望する診療科に進む前の段階での修行」が「初期研修」でありますが、何処でどの様な初期研修を受けるかは全く個人の裁量に委ねられて.大学の医局という組織に所属しそこから希望の診療科に直接進む場合もあれば、大学医局には所属せず「研修指定病院」等の医局に直接入り、そこで基本的な内科や外科研修重ねていく場合あります. 

 私は当初から脳外科医を目指して医大に入学したのですが、医大を卒業し医師国家試験に通った進路としては直接に脳外に進むのでは無く、まずは基本的な外科での修練が必要と考え東京のとある大病院で外科初期研修を始めました.そこでの生活は、朝は採血点滴に始まりモーニングカンファで入院手術患者プレゼンし、朝回診が終わるや否や午前・午後と複数の消化器外科メジャーオペ(胃がんや大腸がんなどの全身麻酔下開腹手術等)に入り、そして夕回診のあと術後の患者さんの管理に各病棟を廻り、同時に週半分以上は当直もこなす、という日々でした.当時は身体がきついなどという意識よりも何よりも、全てが初めての事ばかりで何をどうすべきか分からず、兎に角何とか対応して先に進む事に必死でありました.病棟から呼ばれ患者さんの様子を診に行ったものの、診ても病状も分からない為に何かにつけては先輩レジデント(研修医上がりの医師)に電話等で聴いたり、来て頂き直接相談して対応するという毎日でした.睡眠薬さえ一体全体何をどの位(何錠あるいは何mg)処方すれば良いのやら分からず、「不眠患者さんに眠剤指示下さーい」とナースの上申を受けるとその都度病棟に趣いては、あちらこちらのクスリの本をひっくり返しては調べました.上申したナースは「電話対応かと思っていたのにまさか来て頂けるなんて!」と多少戸惑いつつも、業務の合間にインスタントコーヒーを入れ甘いものも出してくれるのでした.そんな日々を過ごして行くうちに不器用な私も、次第に採血点滴やらドレン(身体に挿入する管)やら「刺しもの(患者さんに針を刺す必要がある手技全般をそう呼んでいました)」をこなし、消化器外科手術も一通り助手を経験した頃、一般・消化器外科の当直は独り立ちしアッペ(盲腸)・ヘモ(痔)・ヘルニア(脱腸)等の小手術(必ずしも全身麻酔が必要では無い手術)も数多く執刀させて頂きました.当時これらは基本的には腰椎麻酔で行なっておりましたが、麻酔時の体位や使用する麻酔薬で麻酔の効きが決まり、如何に上手く麻酔をかけるかも腕の見せ所でした.緊急手術の麻酔対応など麻酔科研修放射線科での検査・診断(エコーや胃透視)のローテーションもあり非常に多忙ながら、学ぶ楽しさに満ちた充実の日々でした. 

 年度後半からは呼吸器外科(肺癌などの手術)・心臓血管外科(心臓や大動脈、末梢血管の手術)のサブスペシャリティー領域のローテーションも始まりました.サブスペシャリティーとは「内科」「外科」といった各診療科の下に連なる細かな専門分野の事で、「外科」では「消化器外科」「呼吸器外科」「心臓血管外科」「小児外科」あります.これらは「超」専門的な分野で、私が受けた呼吸器外科・心臓血管外科での研修は何れも厳しいもので、一日一日が長く辛く感じておりました、それらの修練を何とか終えた後はそれら領域も含めた日直・当直の独り立ち始まり、暫くは連日戦々恐々として過ごしておりました.そんなサブスペシャリティー修練でオーベン(指導医)から学んだ事は「頼れるのは自分だけ、電話だけで済ませるな」「必ず病棟の患者を自分の眼で診て判断しろ」という事で、それはその後の医師としての過ごし方にも大きく影響致しました. 

 私生活では研修医からの3年間で結婚し子供も生まれ、精一杯留守を守り家で待っていてくれる協力と幼子の笑顔に支えられどうにかこうにか外科専修医も終える事が出来医師4年目からは有名私立大学医局(脳外科)に所属する事となりました.いよいよ脳外科医としての勤務始まるンと意気込んでおりましたでしたが、同期となった脳外科レジデント達からは「外科で廻り道したね」などと言われ次第…いやいや「外科での初期研修」は貴重な経験で決してハンデでは無いとつぶやき、しかし大学医局での1年は脳外科医では無くシステム上、再び外科の研修医」として上野のとある病院へ出向となりました.「またか」と少し落胆気味のスタートとなった上野の病院ではしかしながら内科の先生方から「研修医」としてでは無く「4年目外科医」として扱って頂き数多くの症例を相談され且つ上司からは外科認定医取得を薦められました.後日認定医取得に向けた症例整理の為、久しぶりに初期研修の病院に立ち寄ったのですが、そこで改めて過去の自分の経験症例当たる作業に思いの外時間がかかりました.症例その整理大変さに辟易すると同時に、今の自分はここでの初めの3年があってからこそだったのだとジンワリ実感致しました. 

 その後無事に外科認定医取得し、医師5年目から開業まで27年間本当に色々な病院脳外科勤務医として過ごし参りましたその中で外科学んだ手術スキルは脳外では脳室腹腔シャント(脳神経外科で基本的な、水頭症手術法)やCEA(頚部頚動脈内膜剥離術)、ECICバイパス(頭皮栄養血管と脳血管をつなぐ血管吻合術)等で生きており、また「自分だけが頼り」で「自分の眼で診て判断」するマインドは脳外で必須でした.外科初期研修時代の4年は病気への向き合い方や診療マインドを学んだ原点であり、年余を経た今も静かに脈々と流れる自分の医の源泉です.開業後は病気そのものより(病気の)患者さんをより身近に感じますが、病(やまい)の奥には常にひとりの患者さんがおり、病気の患者さんに何が必要なの見極めには、患者さんの近くへ自ら歩んで行く事が必要です.薄ぼんやりとした朝霧にかすんで良く見えなかった先の景色がそちらへ歩み近付くに従って次第にはっきりして来る様に、そばに行かないと見えては来ません.開業3年目で依然として試行錯誤の日々ですが、これからも「病気の患者さん」と共に歩む医療を心掛けて行きたいと思っております. 

HOME

ブログカレンダー

2024年12月
« 11月    
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  
▲ ページのトップに戻る

Close

HOME